旅行記

アメリカの文化は日本とは大違い?

(ファルコバイオシステムズ総合研究所)藤本 一満

私は平成19714日から721日(土)まで、2007年度AACC(アメリカ臨床化学会)学会参加のために、天理よろづ相談所病院臨床病理部長の松尾先生と日立製作所の2人の方、計4人でサンディエゴに行ってきました。一週間と短い期間でしたが、アメリカを知りつくした日立のMさんにアメリカの文化や名所を教えて頂いたおかげで、英語が全くできない私でしたが大変楽しい時間を過ごすことができました。この記では、今回の渡米で感じた事を書きました。気軽に楽しく読んで下さい。

第一章:機内では英語が喋れないとご飯が食べられない?

 平成19714日(土)の午後1525に関西国際空港を飛び立ち、14日(土)の午前911にサンフランシスコ空港に到着しました(時差は日本時間−17時間)。機内では軽食を含め3度の食事が出てきました。アメリカに向かっているからでしょうか、キャビン−アテンダントさんは勢いよく英語で語りかけてきます。私はビジネスクラスの最前列だったので見本がなくcoffee or tea?は、何とか理解できたのですが、その他の語りかけに対しては、頭の中でWhat? What? What?微かな英語力で何とかしようとしたのですが何も出てきませんでした。アテンダントさんが見兼ねて、「トレイを準備して下さい。メニューは何にされますか?」と、作り笑顔で優しく日本語で語りかけてくれました。ホッとしましたが、内心、最初から日本語で周りのお客さんに聞こえないように喋ってくれ〜〜と拝みました。頼みの松尾先生は、反対の窓側でしたので声をかけることすらできませんでした。次、アテンダントさんに語りかけられても良いように、頭の中でシュミレーションし実践に備えていましたが、ネイティブな発音は私の備えをもろくも砕いてしまい、ただただおろおろするだけでした。けど、何だかんだでご飯は食べられたのですから凄いものです。

第二章:アメリカ人は挨拶好き?

 アメリカに着くと、とにかく顔を合わすと互いにHello!とか、Nice to meet youとか、How are you?などを言うのである。日本よりよっぽど挨拶が習慣になっており、またその時の表情が豊かなこと、手振りが大げさであることに感心したのである。何であれほど挨拶するのか、日立のMさんに尋ねたところ、アメリカは移住民の集まりであるから互いに警戒しており、そのため相手を確認するために挨拶をするのだそうです。挨拶をして返事が返ってきたら味方と判断しているのです。日本は平和すぎて挨拶の習慣が消えつつあるし、挨拶や声をかけるとセクハラだの何だのと言う人も増えたように思われます。このままでは日本人は面と向って会話をしない人種になりそうである。

 日立関係の外国の方達と一緒に夕食に行くことになったのだが、ゴッドファーザーで見た長い黒いリムジンに8人乗って行きました。すぐに着くと言われたのですが、アメリカのスグはとても遠いのです。国土が広すぎ〜〜。40分程走って着きました。もちろん車の中では自己紹介やら挨拶やら会話やら大いに盛り上がってましたが、私は萎縮していました。宇宙人達の会話に聞こえたのです。みんな楽しそうでした。レストランでも大いに盛り上ったのですが、私はかなり辛かったです。英語が・・・・と思いました。翌日からはその人達と合う度に挨拶です。というか、相当な友達関係であるかのように、挨拶をしてきます。凄い!俺は味方やから、そんなに挨拶はしなくて良いよと内心思ってました。

第三章:日本車多すぎ?

とにかく驚いたのが、日本車の多さである。走っている車が、トヨタ、日産、ホンダ、スバルなどの日本車であり、残りはアメリカ車のフォードと韓国車のヒュンダイだったように思います。まるで日本の道を走っている感覚に襲われそうでした。日本車の性能の良さが、アメリカ人に受け入れられた実態を目の当たりにしました。自由競争、恐るべし!

車社会のアメリカは日本に比べ、運転マナーが良い事にも驚かされました。歩行者を大優先にしてくれます。また、警笛を鳴らす人もいないので、リラックスして道を歩くことができます。だからでしょうか、信号のない交差点も日本に比べたら多かったです。明日できることは明日にしようという、慌てない文化が運転マナーを良くしたのかもしれません。歩行者の皆さん、どうぞ^^

第四章:全てが大盛り!

 アメリカで注文したものを全て食べていたら間違いなく腹を壊すか、メタボリックシンドロームになります。とにかく大盛りなのである。何でこんなにたくさん?と何度もうなりました。Mさんいわく、アメリカは残す文化です。出された物を全部食べていたら体を壊しますよって教えられました。

 朝食のサンドイッチはもちろん、ハンバーグ、ビール、ペプシコーラまで全てがビッグでした。最初の2日間くらいは残したらダメと思い必死に食べていたのですが、これでは胃が壊れると確信し3日目の朝からは朝飯を抜く事にし、昼飯、晩飯は勇気を出して残すことにしました。砂漠のど真ん中で食べたハンバーグは、値段は手頃ですが、ハンバーグがでかいしキャベツの量が中途半端ではなかったです。

もちろん勇気をもってキャベツは全部残しました。アメリカでは、量はたっぷり出すから後は自分の判断で食べてくださいよ。という文化らしいです。


第五章:ゴルフデビュー!

 到着して3日目の早朝からなんとゴルフをしたのである。それも18ホールを回った(くるくる回ったのではありません)のです。時を同じくしてハニカミ王子も近くでゴルフをしていたらしいです。ライバル出現!

 ゴルフ場の名前は、名門?Twin Oaks Golf Courseでした。前日の夕方、Mさんとゴルフシューズを買いにいきました。限りなく安い靴を探しました。安く(3,000円くらい)て、デザインが良い靴があったのでそれを買いました。何故か靴の裏には既に芝生がついていました。不思議な靴でした。手袋、ティー、ゴルフ球も一緒に買いました。サンディエゴに来て、ゴルフができるとは思ってもいなくて、久々にわくわくしました。ただし、ゴルフの経験は全くありません。打ちっぱなしも10年以上前に5回くらい行っただけでした。

 当日の朝6時にホテルを出発し、ゴルフ場に向いました。1時間くらい走ったところにありました。クラブをレンタルし、いざゴルフの開始。朝早いスタートでしたが、清清しく大変気持ち良かったです。

カートも初めて運転しました。国際免許がなくてもカートは運転できました。とにかく楽しくコース内を所狭しと走り回りました。134打たたきました。プロの人の凄さがわかりました。またやりたいです。

第六章:お約束の大リーグ観戦!

 アメリカのいえば大リーグです。残念ながらサンディエゴ・パドレスには日本人はいませんが、男4人で観戦に行きました。日本みたいに応援団が式を取って団体応援をすることは一切なかったです。各自がバラバラに応援してました。が、大変楽しんでいるように見えました。試合は坦々と進みますがファンは大いに盛り上がってました。選手の交代の合間には、ファン向けサービスが毎回のようにやっていました。試合は本当に単調です。バント無し。3番〜9番は盗塁なし。細かいサイン無し。シンプルな試合内容でした。日本の高校野球やプロ野球が好きな人は、アメリカ野球はやや物足りないかもしれません。球場内の看板の多くは日本の企業でした。日立、トヨタ、シャープなど、ここでも日本と間違うほど日本の企業が入りこんでいました。凄いことです。

第七章:松尾先生の英語は本物!

 学会の一部に、セミナーを各企業が設定し開催されていました。日立と提携しているアルファ・ワッセルマン社主催のセミナーに松尾先生が講師としてよばれ、日本のPOCTの現状について2日連続でレクチャーされました。もちろん英語です。20分くらいのレクチャーでしたが、松尾先生は流暢に喋られていました。正直驚きました。アメリカに到着してからも、ほとんど通訳なしで会話されているのを見てすごいなーとは思っていましたが、ここまで英語ができるとは。凄いの一言です。

松尾先生は、レクチャーの最後に日本の文化をアメリカ人に伝えたかったようで、日本のお餅や海苔を持って来られてましたが、あまり通じなかったようです。私には気持ちは十分に伝わりましたが・・・・・

第八章:AACC学会

 学会会場はサンディエゴ国際会議場でした。海岸沿いにある大きな綺麗な建物でした。ほとんどの敷地は展示会場に使用されていました。展示会場の片隅にポスター発表のエリアがありました。私の発表は最終日の午前中でした。ポスターを貼って、2時間ほどポスターの前にいるだけでした。発表の内容は「慣れない医療従事者による日立S40クリニカルアナライザーの使用経験とその評価」です。日本ではPOCTがようやく浸透してきたところですが、アメリカではPOCTは定着しているようです。発表した機械は小さなものですが、この機械のおかげでアメリカに来られたと思うと何がきっかけになるかわからないな〜〜としみじみ思いました。

 会場では日本の企業の方や、同じ職場の方にも会いました。日本語が通じる人と会うとホッとできました。

最後に:アメリカに来て、アメリカの文化に触れ、またアメリカに行きたくなりました。来年はワシントンでAACC学会が開催されます。英語をマスターしているともっと仲間ができそうです。チャンスがあれば、世界のどこでも行きたいと思っています。皆さんも外国の文化に触れて下さい。