MABUHAI PHILIPPINES (ようこそフィリピンへ)
奈良県立三室病院 岡 美也子
フィリピン到着まで
今回のフィリピン行きは、10日間の日程である。私は、この4月から大学院で開発学を学んでおり、そのスクーリングに参加するのが今回の旅行の目的である。子供がうまれて5年、10日間も一人で自由に過ごせる機会はなかった。「あぁ。一人旅?」。
あと5分でフィリピン航空402便の搭乗手続きが始まろうとしているところに、「…….Ms. Miyako OKA…カウンターまでお越しください」というアナウンスがあった。「今回、初めてe-ticket(旅行会社からeメールで送られてくるパスワードで開くWeb上の航空券を印刷したチケット)を使っているからなー。なんか問題あったかなぁ?」と思いながら、カウンターに行った。すると、航空会社の人は「お客様は、ビジネスクラスがご利用いただけます」と言って、ビジネスクラスのチケットを手渡した。「へぇーー!!グッドラックや!!」私の人生も、運はまだ尽きていないようである。
機内のお隣席は、同じくビジネスクラスへグレードアップした枚方市出身の女性だった。彼女は、フィリピンに1ヶ月語学留学に行くという。さらにフィリピンでの語学留学終了後は、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行くという。仕事はどうしたのかとたずねると、「やめました?」。「未知の世界への第一歩に、ビジネスクラスへグレードアップなんて、なんかうれしいねぇ」と、彼女の新しい冒険の始まりの幸運に、私もわくわくし、マニラまでの4時間を過ごした。
ニノイ・アキノ国際空港に到着すると、機内アナウンスはフィリピン語と英語のみになった。「MABUHAI HILIPPINES ?????▼??????(ようこそフィリピンへ 後は不明)」いよいよフィリピンへの第一歩である。
ホテルまで行く
私は、旅行先で電車やバスに乗るのが好きである。その土地に住む人たちの目線で、その土地を感じるためには、公共交通機関を利用するのが一番よいと思っているからだ。空港には列車は乗り入れていないので、最寄りの駅までバスかタクシーで行かなければならない。とりあえず無難と思われたクーポンタクシーを利用することにした。空港内のカウンターで行き先を告げると、クーポンに設定料金を書き込んでくれて、そのクーポンを持ってタクシーに乗り、運転手にかかれた料金だけ支払う。運転手によるぼったくり防止システムである。旅のはじめに安全そうな乗り物を選んだが、このクーポンタクシーは非常に割高だった。普通のタクシーで50ペソ(200円)かからない距離を410ペソ(1640円)で行く。相場のわからない外国人としては、勉強と思って納得するしかない。
道中の道路はひどい混雑である。片側4車線の道路だったが、どの車も我先へと前へ進むために車線変更をするので接触しそうになるわ、それを避けるため何度もクラクションを鳴らすわで、こわい思いをした。信号のあるところでは、信号が赤になり車が停止すると、道路脇から水や手製のハンドル拭きタバコ等雑貨を持った売り子が、車と車の間を歩き回るため、危険というか何か混沌とした状況であった。しかし、マニラの交差点の多くは信号のないトラフィックサークルと呼ばれる交通システムを採用している(日本ではロータリーといわれる)。ケソンメモリアルサークルなどは、10車線もある巨大なもので、サークル内で、車はかなりのスピードを出している。脇道から主要道路に入る時は、右折進入は簡単だが、左折はいったん右折してUターンゾーンでUターンして戻ってくる。慣れないと難しそうであるが、信号待ちはないし、信号機の設置および制御の必要も無く、合理的だと思った。
私が乗ろうとしている電車はMRT(Mass Rail Transit)といわれるメトロマニラを南北に結ぶ高架鉄道である。メトロ・マニラとは、日本ではマニラといわれているフィリピンの首都の正式名称のことである。17の行政地域の集合体であるマニラ首都圏の交通渋滞緩和のために現在、3本の高架鉄道が運行している。私はそのうちの一本の始発駅から、宿泊ホテル方面へ乗ることにした。
タクシーを降りて道路から、階段をあがったところに切符売り場があった。切符売り場エリアと通路は、腰くらいの高さのフェンスで仕切りがしてあり、人一人が通れるほどの隙間が2箇所あいている。この隙間付近には警備員がたっており、皆その前を通過して駅構内へはいっていく。隙間が2箇所あるのは、男子用と女子用の入り口で、男子・女子の警備員が、同性の乗客のかばんの中とボディチェックにあたっている。後で聞いたところによると、銃の所持をチェックしているとのことである。切符売りカウンターは6-7箇所ほどあり、それぞれに長蛇の列ができていた。無意識に自動販売機を想像していた私は、近づく自分の順番に焦りながら、ガイドブックで目的地を調べた。係員に目的地を告げると、「15ペソ(60円)」と言って、使い古したテレホンカードのような切符をくれた。行き先も値段も会社の名前もかいていないカードで、他の乗客が持っているカードとは色も違う。単に磁気情報だけが書き込まれているのだろう。超合理的であると感心した。
自動改札を抜け、階段を下りて乗り場へいくと電車が来ていた。乗ろうとしたら、目の前でドアが閉まった。もう少しではさまれるところだった。ブザーは鳴っていたようだけれど、「扉が閉まります」のようなアナウンスは無かった。ご親切な日本社会に慣れすぎてボーっとしていると、命を落としかねないとつくづく思った。すぐに後続列車が入ってきたので、乗り込んだ。座席は、日本のようなふかふかではなくベンチのように固い材質であった。どんどん客が乗り込んできては、次々にベンチに腰掛けていく。わずかな隙間を見つけては、老若男女を問わず、お尻を割り込ませてくる。私も隣のおばさんとおじさんと、太ももで密着している。「いやー、これがフィリピンの距離感かぁ。近すぎ!!」と感心しながら、発車をまった。密着した太ももは蒸れてくるので、時折空気を入れるために足を動かすのが礼儀のようである。
ブザー音が鳴り、扉が突然閉まり、発車した。突然扉が閉まり、驚きつつ怒り顔のフィリピン人がいたので、このサービスに不満足なのは日本人だけではないらしいことを確認した。しばらく走ると、減速し停車した。一つ目の駅である。ここに来て「車内アナウンスがない!」という事実を知り、「果たして目的地で下りることが出来るのか」という不安が思考回路のすべてを占有した。この満員列車の中でガイドブックを開くのは、いかにも観光客風で危険である。誰かに聞いてみることも考えるが、車内は非常に静かで、なんとなくきき難い。ということで、目的地は「確かケソンアベニューだった」という記憶を頼りに、停車ごとに駅の表示をみて下りる事にした。「目的駅を認識した途端に、満員の車両の中を降りることが出来るのか」という不安は、目的地の2つ手前の駅で大勢が降りたので払拭された。果たして、ケソンアベニューで無事に下車できた。よかった。
駅からはどうやってホテルまでたどり着くべきか?フィリピン人になれていないうちに慣れないうちにタクシーは怖いが、ジプニー(庶民の乗合小型バス)も行き先がわからない。かといって立ち止まるのも危険なので、とりあえず片側2車線の道路の歩道をしばらく歩くことにした。しかし、排気ガスで空気が悪い。地図上では、電気公社や病院の近くを歩いているようであるが、店も無く、人気も少なく、道路と道路わきには空き地や木々がうっそうと茂っているという殺風景な風景である。30分ほど歩いたあたりで、ぐっとキャリーバックがぐっと重たくなった。かばんのコマの部分を見ると、歩き過ぎのためか熱を持ち壊れている。そのうちに雲行きが怪しくなってきた。こういう窮地でタクシーに乗るのもいやだけれど、雨にぬれる前にタクシーを拾うことにした。
タクシーに乗ると、運転手はメーターを動かしたので、安心してホテルまでいけた。タクシーの中には、メーターを使わずに法外な料金を要求してくる場合がある。滞在中に乗った他のタクシーの運転手に聞いた話によると、最近は取締りが強化されており、メーターを使わずに客を乗せていると罰金をとられるので、ほとんどのタクシーはメーターを使っているという。タクシーに乗り始めて5分もしないうちに、大雨が降り出した。しかもひどい落雷つきである。間一髪の差で、濡れるところだった。ホテルにつくと、落雷による停電のため、フロント付近は真っ暗で、すぐにチェックインできなかった。電気が回復するまでソファーで待ちながら、天候の事情で、事が進まなくて時を待つというゆっくりとした流れを感じ、雨が降ろうが槍が降ろうが定刻主義な日本流から開放され、ゆったりとした気持ちになるのであった。
SM North(エスエム ノース)へ行く
今回滞在しているホテルは両替ができない。滞在費の前払いに応じるため両替を目的に街へ出かける事にした。フロントのお姉さんに、最も近くの両替所を聞くと、「SM North。ジプニーで20分」だという。いよいよジプニーデビューの時がやってきたようである。ジプニーとは、米軍払い下げのジープの荷台を改良した庶民の乗合小型バスのことであるが、今では町の小さな自動車工場で板金をして新たに生産していると思われる。ジプニーは、場所によっては24時間営業と営業時間が長く、安くて、細い道も通って客を拾うので、ルートが分かり乗りこなすことができれば非常に便利な乗り物である。どれくらい安いかと言うと、タクシーで100ペソ(400円)くらいのところを10ペソで行く。ジプニーの前・横に行き先が書かれているので、ジプニーが近づいてくると、それをすばやく読み取り、乗るなら手を挙げてバスを止める。空席があれば、止まってくれるが、すでに満員の場合は、通過する。後部の入り口から乗降し、左右両脇に据えられた座席に座る。ここでも列車と同じで、フィリピン人は隙間があれば、ぎゅうぎゅうとおしりをねじ込んでくる。定員は20名も乗ったら限界である。バス代金は下りるまでに、運転手に渡さなければならない。後部に座席を取ったときは、前の乗客に「バヤット(お勘定)」(「バヤトゥ」とも聞こえる)といって手渡すと、その人はまた前の人に「バヤット」と言って手渡し、運転手にまでお金が移動する。お釣りがあれば、逆順に手渡されて、手元まで戻ってくる。面白い仕組みである。いつもジプニーの後部から席が埋まっていくのは、なるべく手渡し業務をしなくてもいいからである思われる。降りるときは「パラ」もしくは「パーラ」と言えば、下ろしてくれる。今回の目的地SM Northは終点なので、言う機会はなかった。
どんなところか分からずにSM Northまでやってきた。「SM」というのは「Shoe Mart」の略で、靴専門店から始まりいまやフィリピンにチェーン展開する大型デパートのことで、今回はSM北店にやって来た。SM North は、SM直営のデパートの他に、専門店街、映画館、イベントスペース、スーパー、巨大フードコートを兼ねそろえたショッピングモールである。奈良で言うなら、橿原市のダイヤモンドシティクラスであるが、マニラでは小規模な方である。そして大変な人出である。建物の入り口には、やはり男女の警備員が立っており、客は男女に分かれて進み、バックを開けて中を見せボディチェックを受けている。駅への入場の際は、違和感があったが、この入り口でのチェックは、フィリピンでは常識のことのようである。各専門店は入り口が狭く、防犯のためのゲートと共に警備員が立っている。本屋に入り本を買って清算をしたら、本を店の袋にいれたあと、包み込むように袋の口をセロテープでふさぎ、レシートをホッチキスで袋にとめてくれた。万引き防止のための方策がいろいろ採られている。店員の数もかなり多く、しかも皆若い。フィリピンの人件費はかなり安いそうで、村から出てきた若者が、林立するメトロマニラのショッピングモールで大量に雇用されているようである。トイレや売り場の場所を尋ねよう店員に近づくと必ず「Yes, Mom?」、何か言った後には「xxxxxx、Mom」と丁寧なのであるが、聞きなれないためか私は一人でむかついていた。
食料を買っておこうと、食料品を売っているSM直営のスーパーに行った。「スーパー」と書いたが、実はスーパーマーケットではない。その上を行く、「ハイパーマーケット」なのである。確かにハイパーな品揃えではあるが、そのネーミングにはびっくりである。買物カートは、日本のホームセンターにあるのより大きく、皆それにてんこ盛りの買物をしている。私の買物は少量であるが、レジを通過するのに20分も待たねばならなかった。レジのお姉さんは、SMハイパーマッーケットカラーである黄緑色のワンピースに、黒のヒールの高いサンダルを履き、皆同じ化粧をしている。私はひそかに、店員くらいは民族衣装を制服にしているのではないかと思っていたのであるが、マニラはすっかりアメリカ文化の影響を受けていて、途上国の独自文化の面影を感じることは出来なかった。
SM Northでのトイレ事情を紹介する。トイレに入ると、4つの個室があり、フィリピン人らは個室に向かってそれぞれ並んでいた。私も並ぶことにした。よぎる不安…「たしか、こういうところって紙がないねんなぁ、、。」かばんの中に携帯テッシュがあることを確認し、順番を待つ。私の順番になり、個室に入ると、紙は絶対になかった。しかも、便座もない!!腰をうかして、用を足した。フィリピン在住の日本人に聞いたところ、「ここでは、便座は大概ないです。」しかも「便器に乗って用を足しているみたいっすよ」との事であった。
意外にココナツジュースは売っていない
フィリピン旅行での楽しみのひとつに、ココナツジュースを思う存分飲むことがあった。「蒸し暑いフィリピンでの滞在を乗りきるために、毎日1個分のココナツを飲むぞ」と意気込んでいた。しかし、これがなかなか売っていないのである。SMの地下のフードコーナーで売っていたのは、ココナツの濃縮液を冷水で薄めた商品であった。まちがいなくココナツジュースであるが、私が飲みたいのは、そのような人工的なものではなく、もぎとったばかりの緑のココナツを割って得られる、生ココナツジュースである。ココナツを入手できないまま、ホテルの近くの小さなショッピングセンターを歩いていると、フルーツジュースの店の床にココナツが転がっているのを発見した。ショーケースの中にスイカやマンゴ、パパイヤなどのフルーツが切って並べてあり、客が好きな果物を選ぶと、ミキサーにかけてジュースにしてくれる店である。私はここでココナツジュースを入手することにした。店員に「ココナツをくれ」と頼むと、「ココナツと何を入れるのか」と聞いてくる。「いやいやココナツをチューっと吸いたいのよ」いうと、笑いながらココナツを拾い上げて割り、中身をビニール袋に移しストローをさしてくれた。こういうのみ方もはじめてである。お値段は16ペソ(64円)。果物2種類のジュースで20ペソ。ちなみに500mlのペットボトルも店によって違うが20ペソ程度である。以後、ほぼ毎日この店でココナツを割っていただくことになる。多分、マニラではコーラなどの商業ジュースがかっこいい飲み物で、ココナツなんて昔からある田舎くさい飲み物と認識されているのだろう。フィリピンでの最後の日に、リヤカーにココナツを積んで売っているところを見かけた。1つ買うと、お兄さんは小刀一本で、ココナツの皮部分だけを剥き、ココナツミルクといわれる薄皮だけにするという芸術品にしてくれた。これだと軽くて、ミルクの部分も食べやすい。ココナツもここまでしないと売れないのかと商業主義を実感した。
村での体験
ここまではメトロマニラでの経験について書いた。しかし、フィリピンは一部の富裕層と大多数の貧困層で構成される国である。富裕層はそのまま政治家グループを構成し、富裕層中心の施策を展開し、貧困層との格差をどんどん大きくしていっている。スクーリングの一環で、マニラにあるスラム街と郊外の農村へのフィールドトリップがあった。スラム街をどのように紹介したらよいのか自分でも整理がつかないので、今回は書かない。フィリピン郊外の農村を訪れた際のことを紹介する。
マニラでの朝の渋滞を避けるため、朝6時に大型のバンに乗り、出発した。高速に入る前に、ジョリビーというハンバーガーチェーンで朝食をとった。ジョリビーは中華系フィリピン企業で、マクドナルドよりフィリピン人好みの味付けが人気の店である。フィリピン各地の他、アジア各国に進出している。フィリピンでは、ジョリビーだけでなくマクドナルドもご飯の選択肢があるのが面白い。お米の国を自称する日本のマクドナルドにどうしてご飯の選択肢がないのか〜でも照り焼きバーガーがあったかとマクドナルドの各国への溶け込み様のいろいろを考えた。
高速に入ってしばらく行くと、緑の草原が広がり、牛がところどころに顔をのぞかせている。大都会マニラを離れ、ほっとする風景である。放牧場というわけではなく、耕す前の水田に草が茫々に生えているところに、農家の飼い牛が放されているようである。今年のフィリピンは雨季の始まりが遅れており、もみまき時期も遅れている。私たちは、あまり恵まれていないと言われる村へ行き、農業組合を訪れ、話を聞いた。「恵まれていない」の意味は、土地が低く洪水の影響を受けやすい上に、灌漑整備が十分にできていないために、年に1回、最悪の時は1度もコメの収穫期を迎えられないという意味である。十分でない灌漑施設であっても、所有者に使用料を支払わなければならない。恵まれた土地の農民は年に3回コメを収穫し、個人の灌漑施設を持っているため、使用料も払う必要がない。どこへ行っても、上を見たらきりがないが、下もきりがない。というのは、土地なし農民も存在し、もみまきや刈入などの農繁期に、農家を転々として、農作業を行う人々もいるからだ。農村にも、フィリピンの富裕層と貧困層の現実を見ることができる。
フィールドトリップの前に、講義で、フィールドワーカーの心構えを学んだ。心構えとは、村人と信頼関係を結ぶために、「村に滞在する。村人と同じ生活をする。村人と同じ物を食べる。・・・などをすると、村人と信頼関係が生まれ、村人は本当の事(困っている事や問題の核心)を話してくれるようになる・・・」かなりの要約であるが、というような事である。つまり「郷にいれば郷に従え」である。
3箇所の農地をまわり、小さな食堂で夕食を取り、そろそろホストファミリー宅へ案内してもらおうかとというところに、「村人と同じ物を食べる」の機会がやって来た。一人の村人が、抱えられるくらいの発泡スチロールの箱を抱えてやってきた。なんだかニヤニヤしている。「その箱何なの?」と尋ねると箱の中から卵を取り出した。「卵の中は何なの?」と聞くと「チック(ひよこ)だ」という。つまり、孵化し始めている卵をゆでた「バロット」と呼ばれる代物なのである。「はいどうぞ」と手渡されて、どうしたらよいのか?フィリピン在住の日本人がお手本に食べてくれた。まず、卵のとがった方を上に向けて持つ。とがった方には隙間があるので、そこをスプーンで砕く。殻を取り除き、薄皮を破る。すると、汁が出てきているので、それをすすり飲む。「お〜〜。卵ではなく、鶏がらスープの味がするやん」殻の開いたところから、パラパラと塩を振りかけ、後は殻をどんどん剥きながら、スプーンで掬い取って食べるのみである。内部はすでに鳥の形になっており、味は鶏肉である。骨はなくやわらかい。食べ終わると、村人の満足そうな笑顔が待っていた。食べても食べなくても、その事実は村人間に広がり、新人は評価されるのである。新人が既存の物を受け入れて、はじめて村人は新人に耳を傾けるという基本の体験を、させてもらった。別に村でなくても、新しい職場に新人として入り込む場合には、同じことが言えると思う。
2日目は、野外にプロジェクターを持ち出してフィリピンのNGOの活動紹介を聞き、活動基盤の地域を訪問した。1991年に噴火したピナツボ山の火山灰に埋もれた村や、フィリピンで神父としてはじめて当選した州知事訪問(!)など、あちこちに連れて行ってもらった。あわただしかったが、村訪問を終え、マニラへ向かった。「村」から高速に入るところの町には、やはりかなり大きなSMモールがあった。訪れていた「村」のすぐ隣に、マニラと変わらぬ風景に出会い、一同唖然となった。フィリピンの隅々にまで、消費社会が押し寄せているのを実感した。
夕刻、マニラに到着し、皆でフィリピンビールのサンミゲルで乾杯した。しかし、丸一日を炎天下ですごし、非常にばてた。ホテルで、38度の熱を出して「こりゃ、熱中症気味やな」と、水分補給をして早めに就寝した。
村のカソリック教会 村のトライシクル
出張マクドナルド
帰国
帰国の時がやって来た。日々の生活から開放されて、拘束時間も長かったが10日間楽しんだ。毎日好きな時間に寝て、朝はぎりぎりまで起きず、友人達と毎晩ビールを飲み食べ話し、充電した。旅という、自分の特性を再認識する機会を、人生の中のこのタイミングで得ることができて、非常に良かったと思う。
長期の休みに同意してくれた職場の皆さんと、快く送り出してくれた家族に感謝したい。