会長挨拶

臨床検査と共に歩んで

(社)奈良県臨床衛生検査技師会  
会 長  山 中   亨

 時間の経つのは早いものでこの世の生を享けて60年が経とうとしています。人がそれなりに社会に対する自分の役割を一通り果し終える年であると言われています。定年と言う言葉で評価されますが、この意味は個人々々にとって大きな違いがあるように思います。
 40年に亘る病院での仕事は、今から思えば何故この道に入ったのか、どうしてこんなに長い時間勤めていたのか、今となっては元に戻ることは出来ないが良く勤まったものであると思います。これが自分の半生なのだと自分自身に対しての言い聞かせが何故か複雑です。不満があると言えばそうでもありそうだし、しかし自分にとって良かったではないかという自問にも頷けるような気もする。
 何と言っても奇しき因縁と言うのか関東平野の要の部分で少年期を送った自分が遠く関西の天理に来たのが中学3年の夏前でありました。それまで既に一度転校をしていて、転校して2ヶ月やっと野球部のレギュラーポジションをもらった途端のことでした。二度転校してからはもう野球をする気力はありませんでした。天理市立丹波市中学の最後の卒業生として義務教育時代を終えました。
 病院に勤めることになったのも、何か潤滑油のたっぷりかかったレールを、定められた岐路として、素直な行動で導かれた想いが残ります。
 1970年の第10回近畿学会が初めての学会発表であったと思います。当会の担当で奈良医大のキャンパスで展開された光景を思い出します。始めてという印象はどんなことでも克明に覚えているものだと、改めて感じ入っているところです。
 私の臨床検査に関わった半生は技師会活動と深い関わりがありました。この間の活動を了解して下さった施設長と、暖かい心で協力・支援をして下さった施設の同僚及び県下会員の方々のお力添えがあったればこそ活動が続けられたことを、衷心より感謝申し上げます。そしてこれからも臨床検査と臨床検査技師の将来に向けて、自分にできることを見つけて邪魔にならないように、続けてゆきたいと考えます。
 今、臨床検査をとりまく状況は決して生やさしいものではないと思います。
そして現在の危機は歴史的に見て頷けるように、過去の対策の不十分さが結果として表れているところが多分にあると考えることが出来ます。法改正が実現できないことがその最たるものであると考えます。
 そして様々な医療上の手が必要な時に、検査技師の業務範囲はこうだと言って積極性を発揮しなかったところに勿論王道は敷かれませんでした。生体検査が臨床検査技師の業務拡大の上に、大きな役割を果たすであろうと考えられたが、実は伸び悩んでいるのが現実です。
 そして現在の15項目になってから特にその印象が強くなりました。自らの道であるという自覚を持つことと共にこれからこの道を辿って後に続く人達に、明るく照らすものを提供したいという気概をもつことが大切ではないかと思います。現職の臨床検査技師全員が認識を固めて、21世紀の臨床検査は医療への貢献度を上げてゆくことを目標にしたいと思います。
 今秋、当会は創立45周年の式典を催すことになっています。ひとつの節目として明日からの目標を明確にした会活動を展開したいと考えます。会員諸氏におかれましては、なお一層のご協力を賜りますようお願い申しあげます。