「私のボランティア活動」

天理よろづ相談所病院 杉山 佳代

 私は、学生の頃からボランティア活動を続けている、と言っても今はほとんど年に数回程しか行けていない状況であるが…。
 皆さんは、サークル90というボランティア団体を御存知だろうか? 何度か新聞でも取り上げられた事があるので御存知の方もいるのではないかと思うが…。
 学園前の公団アパートの一室に筋ジストロフィを持った方(O氏)が自立生活をされている。自立生活といっても勿論車いす生活で完全に一人で生活出来るわけがなく、朝と夜交代で身の回りのお世話をする人達が必要となってくる。そこで発足されたのがサークル90という名のボランティア団体である。男女合わせて総勢100名以上、年齢層も幅広く、高校生ぐらいから70代の方までがこのボランティアに参加されている。私も高校の頃の友達から紹介を受けO氏とのつき合いは今年で7年目になろうとしている。
 ボランティアというと、とても大そうなものに思えるかもしれないが、実際やっている事は至って簡単な事である。まず、朝10時頃、その方のアパートまで行ってあいさつをしながらドアを開けるとたいていO氏は一人で新聞を読んでおられるかテレビを見ておられる。「お久しぶりです。最近はどうですか」等とお互いの近況報告が終わると、たいていO氏から「洗濯機のスイッチを入れて下さい」との声がかかるため、全自動洗濯機のスイッチを入れに行く。その他にもたいていO氏に言われた通りの事をすれば良い。O氏は腕を上げる事は出来ないが指先は動くため、食事や字を書く事等は一人で出来る。だから言われる言葉は、「〜を取って下さい」「〜を開けて下さい」「〜をしまっておいて下さい」というパターンが多い。誰にでも出来る極簡単な事だ。お昼近くになるとO氏と自分の二人分の昼食作りを始める。メニューはO氏が決めているため言われた通りのものを作れば良い。たいていチャーハンか焼そば等すぐに作れるものばかりだ。昼食を食べ終わると外出か昼寝をされる。私が介護に入るのはたいてい日曜のため外出が多い。足にスニーカーを履かせてあげていざ出発!(外出する時は介護者が二人以上になっている事が多い)
 行き先は買い物、映画、講演会等その日によってさまざまだ。一歩外に出ると、病院内のようにはいかない。普段はあまり気付かなかった障害だらけである。道路はでこぼこ感や車道との段差、階段しかない所では介護者何人かで車いすごとかつぎあげなければならない。他、店での待遇、トイレの狭さ等でも車いすの人達にとってはまだまだ暮らしにくいところが沢山ある事を学ばされた。
 外出しない時は、たいていO氏といろいろな話をする。日本の福祉、奈良市の障害者に対する対応、施設に入っていた時の待遇、ある店での店員の態度等体験談も交じえての話は聞いていてとても勉強になる。
話は尽きないが夕方になれば夕食の準備にとりかかる。メニューは昼食と同じくO氏が決めているためその通りに作れば良い。もし作り方が分からなくてもO氏が口で教えて下さる。O氏は自分で料理をする事は出来ないが、母親が料理するのを横で良く見ていたらしく調味料の配分等も非常によく分かっておられ、新しいメニューをあれこれ考えてはレシピを教えて下さる。下手に料理学校へ通うよりずっとためになるのではないかと私は思
う。ここまでが朝の介護者の役割で、この後は夜の介護者とバトンタッチをする。夜の介護は、O氏と一緒に夕食を食べ、夜寝るまでの身の回りのお世話と、朝の身支度が主な役割でベットに移す時等力がいる事が多いため、たいてい男性が入っている。
 以上がボランティア活動の主な内容であるが、O氏と関わる事によって本当に視野が広がったと思う。学生、社会福祉士、看護婦、保健婦、養護学校の教師、大学教授、ホームヘルパー等さまざまな職業の方と知り合いになり、又さまざまな障害を持つ方と出会えたためである。ある視覚障害者から聞いた話でなるほどと考えさせられた話の一部を紹介しよう。
 電化製品のスイッチは今ほとんど凸凹がなくランプでオンかオフか分かるようになっているものが多いが、それは目の不自由な方にとっては分かり難い。見た目の良さを追求した今の電化製品はかえって視覚障害者にとって使い難いものとなっているのだ。その他にも私達健常者は自分で分かるものが手で分かるようになっている。例えば、テレホンカードと他のカードでは端にあるくぼみの大きさや形、数が違う。シャンプーとリンスは同じボトルだがどちらかの端に凸凹がついていて区別出来るようになっている。
 今まで気付かなかった事が見えてきた。このようにボランティアを通して学んだ事は多く、その一つ一つが自分の心の財産となっていると言っても過言ではないだろう。最初にも述べた通り今はほとんど介護に行けてない状況であるが、O氏とのつき合いは絶対にやめず続けていきたいと思う。