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日本衛生検査技師会 会誌JAMT 平成18年6月号<北から南から>掲載

 濱 玲 (自宅会員)

 法隆寺境内の東南の隅、普門院の裏の空き地に巨大な塔の心礎がひっそりと置かれたままになっています。

 推古創建の斑鳩寺、すなわち旧法隆寺の伽藍の跡です。

 法隆寺は「用明天皇の病気平癒を願って薬師像と寺の造顕が発願され、天皇の死後、推古天皇と聖徳太子により推古15年(607年)に完成した」と金堂薬師像光背銘に記されています。しかし、班鳩寺においては、推古14年(606年)「播磨国の水田を班鳩寺に施入した」と日本書紀に見るだけで、建立時期については何一つ確かなことは記されていません。

 いずれにしても「世界最古の木造建築・法隆寺」は推古創建時の建物か、天智9年(670年)法隆寺雁災記事(日本書記)による再建伽藍なのか、明治以来、大論争が繰り広げられてきました(「法隆寺再建非再建論争」)。

 しかし、昭和14年にこの塔心礎をもとに若草伽藍の発掘が行われ、創建時のものとみられる塔と金堂の遺構が発見されました。また、平成16年には年輪年代測定により法隆寺の部材は668〜685年ごろ伐採されたことがわかり、科学的にも「再建法隆寺」が確認されました。

 643年、蘇我入鹿の軍兵に囲まれながらこの斑鳩寺の塔中において、山背大兄王ら一族は自らの死を選び、太子一族は断絶します。そして、その悲劇を追うように670年、寺自身も炎上してしまうのです。しかし、その後、太子信仰の繁栄により斑鳩寺は再建され、「太子の寺・法隆寺」として蘇ります。この若草の礎石が語る歴史的事実もまた、聖徳太子その人を蘇らせてくれたのではないでしょうか。平成5年、法隆寺は日本で最初の世界文化遣産として守りつがれることになります。         

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