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「踊る女」

医療法人医仁会 平井病院 久永 悠子


 私は昔から何かと「踊る」という機会が多い。始まりは高校生頃からで、当時は部活(吹奏楽)関係で踊っていた。全盛期だったのは、技師学校に入ってからで、夏のキャンプの出し物で初めてサンバというものを踊った。又、国家試験当日の朝に先輩を後輩が見送る時に行う「激励の踊り」にも、男子恒例行事であるにも関わらず思いっきり参加して踊ってやった。こんな事ができるのも学生の内、と思っていたら意外にも現実は、違っていた。

 就職してすぐの頃に病院内の新人歓迎会で、新人による出し物大会が行われ、私は、マラカスなんぞ持って踊ってみた。そしたら優秀賞なんてものに輝いてしまい景品も頂いた。(この後から現在までの間、人前で踊る機会はなく、日々仕事に励んでいた。)

 こんな私も技師という仕事を始めて3年目になる。最近少し慣れた事もあり自分の時間ができ、仕事帰りに友人と会ったりしている。久しぷりに会う友人達と話をしてみると、なんとびっくり結婚するというではないか。それも1人や2人ではなく一気に5〜6人も。「もう皆、そんな年頃かあ。」なんてしみじみ思っていたのもつかの間、披露宴での出し物依頼がやってきたのだ。やはり友人達は私を理解しているらしく「踊ってね。」とハッキリ指定してきた。実際のところすでに2つの披露宴に出席し、それぞれの式で踊ってきた。

 今回は、2つめの式で踊った時の事について書いてみようと思う。

 新郎側の友人として呼ばれた私は、彼の為に祝のサンバを踊ってやろうと考えた。女友達と2人でビ一ルを片手に企画を練った。内容は少し長めの曲を使い、お祝いの言葉→踊り→新郎によるビール一気→踊り→退場というものだった。そして当日、私達は日本橋で「羽アフロ』を購入した。(これは、ただのアフロではなく、鳥の羽でできているといっためずらしい物で、お祝い色という事で白とピンクにした。)

 そして迎えた本番。花嫁はお色直しの為おらず言ってみれば花のない会場といった感じだった。

 この様な状況でいかに皆の心をつかむか、それは精一杯踊る事だと自分に言い聞かせた。司会者の紹介と共に曲が流れ、私達は、皆の前に現われ踊った。するとすぐに手拍子が始まったではないか。調子に乗った私は親族席へ向かい「オメデトウゴザイマース。」と声をかけたら、温かい拍手を頂いた。「いいぞ姉ちゃん達。』と声をかけてもらった。会場が一つとなり、まるで私達のオンステージ状態になってしまった。大成功である。出番を終えて席へ戻ると一斉にビールつぎがきた。皆ロ々に「よかった。」と言ってくれた。式が終わってからも全く知らんおじさんに、握手を求められ、「うちの村祭りで踊ってください。」なんてことも言われた。

 予想もしていなかったこの結果に、私達は熱いものを感じた。ひとまず年内は、終わったが、来年はすでに一月から式に出る事が決まっている。

 両親には「人のお祝いばっかり出てないで、自分はどうなの。」と言われるが、この厳しい時代に結婚で仕事を辞める訳には、いかない。まだまだこれからなのだ!!(言い訳?)

 ちなみに最近私は、近○文化サロンでフラメンコを習い始めた。これがまた楽しい。なんといっても姿勢がよくなる。全身の筋肉をのばしてポーズを決める自分の姿はなかなかよろしいものである。ぜひともこれを読んでいる皆様にもおススメしたい。

 長々と書いてしまったが最後に確認しておこう。

 私は、ダンサーでも芸人でもない、まだまだヒョッ子のいち検査技師である。

 終わり

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