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「大和の古墳を考える」に参加して

 県立五條病院 石井 勇次

私は、昨年12月に広報が手元に届けられた時、人数制限があるのではと思い真っ先に予約電話を入れさせてもらいました。この飛鳥は、私達が小学生の頃と言っても40年も前の事ですが、遠足のお決まりコースでした。

私が今までに飛鳥に足を運んだ回数は数えきれないほどでしょう。でも歴史を知りたい為でもなく、何かを得たい為でもありませんでした。私達が住んでいるその中に飛鳥があったからです。でも年と共に興味が倍加していきます。三世紀頃からこの土地でこの場所で、あの歴史が作られたのだと思うと胸の熱くなる思いがしてまいります。こんな時にこの広報が届いたので早速参加させてもらったと言うことです。私はてっきりアウトドアと思い込んでいたところ、生憎インドアでの説明で少し気落ちしておりましたが、しかしそれなりに面白い話も聞かして頂きました。日本の通史を考える時、北九州から瀬戸内海を経て近畿に及ぶ地方が、常に重要な地歩を占めていること。今話題になっている黒塚古墳より発掘された三角縁神獣鏡が、もし「魏志倭人伝」に記す中国の魏より卑弥呼に送られた1O0枚の内の33枚だとすると、邪馬台国は北九州を経て大和でという事で、近畿説になるとのことでした。

これを聞いて、やはりここが邪馬台国かと思いきや、銅鏡は計3OO枚を越すとのことで喜びはまた先へ繰越です。しかし私達は、この大和に存在している限りこの夢は捨てたくはありません。北九州に住む彼らもそう思っている事でしょう。その後藤ノ木古墳の発掘状況を説明して頂きましたが、二人の男性に添えられた装飾品、金銅製冠の文様からその文化のつながり等を割り出して、年代人物を推測していく面白さをとくと説明されておりました。私はそのような話を聞いていて、本当に彼らはその時代に陶酔している様に見えました。

このような話を聞いておりますと、私たちが普段何も言わず見ている丘が山が、全て神秘的に見えてきます。少し話は変わりますが、大和の歴史はおもしろいですね、色んな所で面白い物に遭遇します。昨年私は、3人の友人とその家族で、大台ケ原山にのぼった時のことです。日出ケ岳から大蛇倉まで遊歩していますと、突然あの山の頂上に大人の背丈の倍程の大きな神武天皇の銅像が建てられております。私は初めて目にした時、自分の目を疑いました。何の目的で何故あの大台ケ原の頂上に建てられているのか? 謎は解けた様な気がします。「古事記、日本書紀」によれば、初代天皇である神武天皇も九州から瀬戸内海、難波を経て大和へ入ろうとしたが、土着の民に阻まれたので、紀州から熊野を経て大和へ入ろうとした、その第一歩がこの場所だったのでは?皆さんも、もし機会があれば地元大和の国を散策されてはいかがですか。新たな所、新たな発見があるかも?

どうも有難う御座いました。貴重な時間を割いてご説明して頂きました橿原考古学研究所のスタッフの皆様、そして企画して下さった皆様にお礼申し上げます。

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