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臨床検査技師との出会い…そして我が母校 |
楽しかった高校生活も終わりにさしかかった頃、一度は下宿生活をしたいと、心密かに考える私に父は“絶対に地元の大学じゃないと駄目だ!”でも私の生まれた富山ではその当時、一期は金大(きんだい:金沢大、近畿大ではありません)、二期は富大、後、受験できるのは私立富山女子短大たったこれだけしかなかったのです。悩み多き理系の私がポリポリおかきをかじりながら、ぺラぺラと受験雑誌をめくっていたら“友の住所と同じ”河内長野市木戸町までいっしょの学校があったのです。
友って言うのは高二の時、転校していった親友の名前で、毎週のように手紙の交換をしていたのです。その学校が国立大阪南病院付属臨床検査技師学校でした。長々しい名前だけど、受験日が一期と二期の真中で受験科目も、私の大嫌いな社会がいらない、受験料もいらない、宿泊費用もいらない、いるのは交通費だけ、その上転校して以来会っていない友に会える。“やった!”早々友に手紙を書いて宿泊OKをとり、受験勉強の辛さ(?)の向こうに楽しみを置いて、親の期待に答えるべく一応頑張ったのですが、私の四月からの行先は国立大阪南病院付属臨床検査技師学校これだけだったのです。
親も浪人されるよりもとしぶしぶ許してくれ、晴れて私は憧れの下宿生活を…ではなく臨床検査技師をめざし、勉強することになったのですが、臨床検査技師とは何たるかを何も知らない私だったのです。それでもとってもいい学校で、いい先生と、いい先輩、いいクラスメートにめぐまれ、三年間、臨床検査技師としての学問だけでなく人間性も育てられました。そのとてもいい学校が今年三月の卒業生を最後に閉校となりました。なんとも心許なく淋しい出来事でした。その卒業生の文章を読むと、私と大違い全員臨床検査技師になりたいという強い意志を持ってこの学校に入学したということです。
それほど臨床検査技師という職業も認知され、目指す人もいるのに何故かと思うのですが……最近の医療情勢を考えると、国立病院は統廃合問題を抱え、病院単独で臨床検査技師学校保持が難しくなったということなのでしょうか?それとも医療技術に関する大学・短大があちこちで開設される中、大学への移行も出来なかったせいなのでしょうか……
ともかく社会はどんどん変わっていきます。私達の検査室を取り巻く状況も自動化・省力化の波が押し寄せ大きく変化してきました。正確、精密かつ迅速な報告が技師の任務と考え一生懸命働くことで自らの首を絞める結果となったような気もしますが、遅かれ早かれ、この流れには逆らえないものがあります。私自身も検体部門でずっと仕事をしていたのですが、前年度より生理部門配属となりました。これも時代の流れ(?)。
しかし学問的、技術的内容は、全然違いますが、患者さんへの気持ち、情報を早く取り入れ、診断に結び付ける大切さは同じです。生理部門でも画像診断の高度化、心電図など自動解析、データ保存ネットワークなどの進歩は目をみはるものがあります。でも私達の生理部門は、まだまだシステム化が遅れています。今、世界で言われているIT(情報技術)は経済発展を推し進め、ITを使えるかそうでないかでデジタル・ディバイド(情報格差)をもらたすといわれていますが、病院としてもITを有用に使えるかいなかで格差が生じると考えられます。それとともに私達が扱うのは情報だけではなく、病んでる患者さんである事を忘れず、今後いくらITの時代になっても、母校はなくなっても、仕事の内容は変わっても、臨床検査技師=天職(自分の持つ知識や技術を人の為に使う事により対人関係が生まれてくる職業の事)といえるようにという恩師の考えを始め愛のある検査をめざし…………日々努力!
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